2020年度の訪問先

3月探訪 犬山城
春色に染まる犬山城と城下町を散策
令和3年3月28日(日)  参加者30名
戦国時代には幾度も合戦の舞台となり、江戸時代には城下町として発展してきた犬山の街を散策しました。あいにくの雨模様でしたが、ガイドさんの先導で伝統的な建物、城につながる寺社などを訪れました。そして、日本最古の天守・国宝犬山城を訪れ、改めて感銘を受けました。
 名鉄犬山駅~城下町散策(木ノ下城址、磯部邸、どんでん館など)~犬山城

12月探訪
令和2年12月20日【32名参加】
豊田市挙母城(七州城)と金谷城
名鉄豊田駅~桜城~七州城「童子苑・又日亭・隅櫓、大手門跡・藩校跡」~金谷城~勝手社~三光寺~上挙母駅
11月探訪
令和2年11月22日 【38名参加】
三河国西尾城 復元された丑寅櫓と土塀 
名鉄西尾駅~西尾城~尚古荘(庭園他)~聖雲寺~康全寺

10月探訪
令和2年10月25日 【28名参加】
三河国岡崎城と大樹寺探訪
名鉄東岡崎駅~岡崎城内「徳川家康騎馬像、三河武士の館、天守閣など」~大樹寺~東岡崎駅
10月探訪
令和2年10月25日 【28名参加】
三河国岡崎城と大樹寺探訪
名鉄東岡崎駅~岡崎城内「徳川家康騎馬像、三河武士の館、天守閣など」~大樹寺~東岡崎駅


9月探訪
令和2年9月27日 【28名参加】
天下普請の彦根城と木俣土佐が願い
JR彦根駅~木俣氏屋敷前~彦根城「登り石垣、天守、山崎曲輪など」~キャッスルロード~善利組足軽屋敷など

8月探訪
令和2年8月23日 【22名参加】
松阪市松阪城跡と市内の史跡を訪ねる
松阪駅~市立歴史民俗資料館~松阪城~御城番屋敷~三井家発祥地~小津記念館~龍泉寺(移築城門)
7月探訪
令和2年7月26日 【28名参加】
三河国・吉田城と二連木城を訪ねる
豊橋駅~吉田城~二連木城~全久院~はじかみ郷城
7月探訪
令和2年7月26日 【28名参加】
三河国・吉田城と二連木城を訪ねる
豊橋駅~吉田城~二連木城~全久院~はじかみ郷城


6月探訪
令和2年6月28日 【29名参加】
美濃国大垣城址と付近の寺社探訪
JR大垣駅~大垣城~大垣城総門、本陣、寺社等
5月 中止
新型コロナウイルスの感染の広がりのため中止
4月 中止
新型コロナウイルスの感染の広がりのため中止
4月 中止
新型コロナウイルスの感染の広がりのため中止

2021年3月 春色に染まる犬山城と城下町

先ず、桜城址へ。 桜城址公園の脇にある街角で説明に聴き入る。 この地は調査発掘の場所でもある
犬山駅のすぐ近くにある木ノ下城址へ
木ノ下城址は、今は愛宕神社になっていて、石碑だけが建つ

桜城址公園に建つ、桜城址の石碑
愛宕神社本殿。この辺りに木ノ下城の本丸があったという
木ノ下城は15世紀中ごろ、美濃土岐氏の侵攻から守るために織田広近が築城し、以後70年間、代々織田氏の居館となった その後、6代織田信康が城の守りを一層堅固なものにしようと、犬山城を築き移った
城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

住宅地の中に、針綱神社元宮跡の碑が建つ

桜城址から高台にある挙母城(七州城)へ向かう 美術館の裏手の広場に残る曲輪の一画 土塁跡に立つメンバーたち

そして、旧磯部家住宅へ
江戸時代の呉服商の建物だ ここは、中を見学できた。

曲輪跡の広場
入口に犬山車山の模型が飾られている
城内エリアに建つ童子苑へ 市民が利用できる茶席だ ちょうど茶会が催されているそうで、お庭の見学だけさせてもらった 
座敷、庭や蔵、移設した櫓を倉庫として活用した様子などを見学
近くに建つ又日亭  もと寺部藩主渡辺氏の書院と茶室だったが、様々な経緯を経てこちらへ移築された
城下町のメインストリート、本町通りを進む
ようやく雨があがるか?
挙母城(七州城)の隅櫓  二層櫓で、高さ7mの石垣を基台に建てられている 往時の隅櫓は明治4年に撤去され、今のものは昭和54年に再建
昼食後、どんでん館へ
城下の南の方に、大手門跡の立て札が建つ かつては、二層の楼閣造りの門があったそうだ「三州挙母に過ぎたるものは、大手御門に海老名三平」と云われたほど豪華だった

犬山祭りの車山を見学したり、犬山祭りの紹介ビデオを観たりして楽しむ
犬山祭りは、コロナ禍の影響で去年から二年続けて中止となってしまったそうだ

藩校跡の石碑が建つ 崇化館という藩校で、挙母藩の士分養成機関であった

そして、常満寺へ この薬医門形式の山門は、犬山城松の丸裏門を明治になってから移築したもの

竹藪の中に、金谷城の曲輪跡があるが立ち入ることはできなかった

常満寺からお城へ向かって進む
針綱神社の脇を通って、城内へ入る
土の擁壁と内堀の跡のようだ

勝手神社へ到着する  ここに、金谷城址の石碑が建つ

天守閣  満開の桜が雨に打たれている
天文6年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木ノ下城より移って築城
以後、信長が織田氏内部の対立を制して攻略、さらに小牧長久手の戦いでは豊臣秀吉が入城した
関ヶ原戦後は東軍のもとに、徳川の世になったのち家康の重臣・成瀬正成が拝領し、幕末まで成瀬家が城主を務めた

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

犬山城の見学を終へ、再び城下町へ
今度は「城と街ミュージアム」へ
文化資料館として、犬山を紹介する施設だ

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

隣のカラクリ・ミュージアムでカラクリの解説と実演を観ることが出来た

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

お茶くみ人形の解説と実演も

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

住宅地の中に、針綱神社元宮跡の碑が建つ

2020年12月 豊田市挙母城(七州城)と金谷城

先ず、桜城址へ。 桜城址公園の脇にある街角で説明に聴き入る。 この地は調査発掘の場所でもある
先ず、桜城址へ。 桜城址公園の脇にある街角で説明に聴き入る。 この地は調査発掘の場所でもある
桜城址公園に建つ、桜城址の石碑
桜城址公園に建つ、桜城址の石碑
挙母藩に入府した内藤氏が宝暦年間に本格的城郭として大改築を進めた
しかし、度重なる矢作川の大洪水に見舞われ、工事を断念して代わりに高台に挙母城が築かれることになった

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

桜城址から高台にある挙母城(七州城)へ向かう 美術館の裏手の広場に残る曲輪の一画 土塁跡に立つメンバーたち

桜城址から高台にある挙母城(七州城)へ向かう
美術館の裏手の広場に残る曲輪の一画 土塁跡に立つメンバーたち

曲輪跡の広場
曲輪跡の広場
城内エリアに建つ童子苑へ 市民が利用できる茶席だ ちょうど茶会が催されているそうで、お庭の見学だけさせてもらった 
城内エリアに建つ童子苑へ
市民が利用できる茶席だ ちょうど茶会が催されているそうで、お庭の見学だけさせてもらった 
近くに建つ又日亭  もと寺部藩主渡辺氏の書院と茶室だったが、様々な経緯を経てこちらへ移築された
近くに建つ又日亭 
もと寺部藩主渡辺氏の書院と茶室だったが、様々な経緯を経てこちらへ移築された
挙母城(七州城)の隅櫓  二層櫓で、高さ7mの石垣を基台に建てられている 往時の隅櫓は明治4年に撤去され、今のものは昭和54年に再建
挙母城(七州城)の隅櫓 
二層櫓で、高さ7mの石垣を基台に建てられている 往時の隅櫓は明治4年に撤去され、今のものは昭和54年に再建
城下の南の方に、大手門跡の立て札が建つ かつては、二層の楼閣造りの門があったそうだ「三州挙母に過ぎたるものは、大手御門に海老名三平」と云われたほど豪華だった

城下の南の方に、大手門跡の立て札が建つ
かつては、二層の楼閣造りの門があったそうだ「三州挙母に過ぎたるものは、大手御門に海老名三平」と云われたほど豪華だった

藩校跡の石碑が建つ 崇化館という藩校で、挙母藩の士分養成機関であった

藩校跡の石碑が建つ
崇化館という藩校で、挙母藩の士分養成機関であった

竹藪の中に、金谷城の曲輪跡があるが立ち入ることはできなかった

竹藪の中に、金谷城の曲輪跡があるが立ち入ることはできなかった

勝手神社へ到着する  ここに、金谷城址の石碑が建つ

勝手神社へ到着する 
ここに、金谷城址の石碑が建つ

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている

2020年11月 三河国西尾城 復元された丑寅櫓と土塀

復元された二の丸の丑寅櫓と土塀
 敵を攻撃しやすいよう、二ヶ所に張り出し部分を設けた「屏風折れの土塀」
丸馬出の跡 本丸出口に曲線を描いて白石が敷き詰めてあるが、この部分は堀だった
本丸の丑寅櫓
本丸丑寅櫓へ登る
最上階・三階は他のお城の場合に比べてかなり狭いと感じた
本丸を囲む土塁がわずかに残っていた
鍮門(ちゅうもん)
二の丸御殿への表門で、高さ6.7mの楼門
平成8年に再建されたという
城外へ出て、尚古荘へ
昭和初期に米穀商、大黒屋岩崎氏によって作られた日本庭園と建物が残る

そして、浄土真宗の寺、聖運寺へ立ち寄る
立派な楼門が建つ 
龍の彫り物も見事だった

盛厳寺へ ここは大給松平氏の菩提寺で、住職から講話を聴く
本堂脇に巨大な墓石の墓が2基建っている
大給松平氏14代の乗全(のりやす)公とその奥方の墓だ
本丸の丑寅櫓

2020年10月 三河国岡崎城と大樹寺探訪

岡崎駅前に建てられた徳川家康騎馬像
菅生(すごう)神社に立ち寄る 岡崎最古の神社でヤマトタケル伝説に現れるという

河川敷に菅生川端石垣という400mもある長大な石垣の一部があり、
さらにしばらく進むと、横矢桝形の跡があった

お城の一角が見えてきた
菅生曲輪跡の広場の向こうに、東隅櫓がきれいに輝いている

天守閣の見学も
天気が良く、最上階からの眺望も素晴らしい
天守閣の下には見事な堀が築かれている
青海堀と云い、周りの堀より一段と深い
城内を散策 家康の産湯の井戸
産湯はここからだけでなく、松平氏発祥の地・松平郷からも運ばれたという
城下を散策 大手門跡の近くに「浄瑠璃姫の墓」がある  浄瑠璃姫は源氏の御曹司義経と別れた後、恋慕のあまり菅生川に身を投げたという
大樹寺へ 県文化財の大樹寺楼門
本堂の奥に立派な墓が建ち、松平氏代々の当主が祀られている
境内に建つ多宝塔 重要文化財だ

河川敷に菅生川端石垣という400mもある長大な石垣の一部があり、
さらにしばらく進むと、横矢桝形の跡があった

2020年9月 天下普請の彦根城と木俣土佐が願い

彦根城へ向かう途中に立ち寄った大師寺
寝弘法という珍しい仏様を祀っている 
こういうスタイルの弘法さんは珍しいという
城内の見学 登り石垣の説明を受ける
山切岸の脇を登って、天秤櫓に架かる橋をくぐり天秤櫓へ出る
太鼓丸脇の石垣は天然の岩盤をうまく活用している様子が分かる
国宝・天守閣がそびえる
この前で記念写真を撮った 
井戸曲輪の近くから着見(つきみ)櫓跡の方面を見ると見事な石垣が 
大手門跡の脇にも昇り石垣がある
大手門跡に架かる橋が美しい
城下街へ出て、辻番所の見学 ブラタモリでも紹介されたらしい
山切岸の脇を登って、天秤櫓に架かる橋をくぐり天秤櫓へ出る

2020年8月 松阪市松阪城址と市内の史跡を訪ねる

大手門跡の石垣 いつ来ても美しい
歴史資料館の見学
商都として発展した松阪の数々の史料が展示されている
松阪城天守台
城内の本居宣長記念館前の石垣
高石垣が美しい
城下街を散策
本居宣長の生誕地の石碑が建つ
伊勢松阪豪商の屋敷が残っていて、一部は見学できる
小津安二郎記念館「青春館」
龍泉寺山門
松阪城の城門をここに移築した
松阪城天守台

2020年7月 三河国・吉田城と二連木城を訪ねる

豊橋公園へ 
城址の入口の橋の向こうに千貫櫓が見える
千貫櫓跡 
この石垣には刻印が多数見られる
名古屋城築城時の石材を流用したとか
千貫櫓への登り口 今は通行禁止
鉄櫓(くろがねやぐら)の中へ
城内に展示される本丸の模型
右手前が鉄櫓 そしてその下、豊川の淵に帯曲輪が広がっている
櫓を支える石垣が美しい
池田氏による大規模な改修で造られた。
谷積みという積み方で近世になってからの技法だそうだ
二連木城址へ
二連木城址を示す石碑
二連木城は戸田氏によって築かれた
戸田氏は徳川家康の関東移封とともにこの地を去る
戸田氏の菩提寺、全久院へ寄り解説を聞く
千貫櫓への登り口 今は通行禁止

2020年6月 美濃国大垣城址と付近の寺社探訪

大垣城東門 石垣には小さな刻印が確認でき、名古屋城の石材を持ってきたのかも、という声も
水門川の方に回り、水の手門から丑寅櫓へ
この前に天守台があり、その石垣に奇妙な刻印がある  
人の胸くらいの高さに線が引かれている
明治29年の大水害のときの水位を示す刻印だ
感染症対策のため、天守閣へは15名ずつしか登れない。
2つのグループに分かれて登った。
城下の史跡を散策
大垣天満宮に立ち寄り、さらに大垣藩主・戸田氏の菩提寺である円通寺などに立ち寄り、街歩き
最後に訪れたのは廣嶺神社
小さな祠があり、ここが大手門のあったところ
この前に天守台があり、その石垣に奇妙な刻印がある  
人の胸くらいの高さに線が引かれている
明治29年の大水害のときの水位を示す刻印だ