住宅地の中に、針綱神社元宮跡の碑が建つ
そして、旧磯部家住宅へ
江戸時代の呉服商の建物だ ここは、中を見学できた。
犬山祭りの車山を見学したり、犬山祭りの紹介ビデオを観たりして楽しむ
犬山祭りは、コロナ禍の影響で去年から二年続けて中止となってしまったそうだ
そして、常満寺へ この薬医門形式の山門は、犬山城松の丸裏門を明治になってから移築したもの
常満寺からお城へ向かって進む
針綱神社の脇を通って、城内へ入る
土の擁壁と内堀の跡のようだ
天守閣 満開の桜が雨に打たれている
天文6年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木ノ下城より移って築城
以後、信長が織田氏内部の対立を制して攻略、さらに小牧長久手の戦いでは豊臣秀吉が入城した
関ヶ原戦後は東軍のもとに、徳川の世になったのち家康の重臣・成瀬正成が拝領し、幕末まで成瀬家が城主を務めた
犬山城の見学を終へ、再び城下町へ
今度は「城と街ミュージアム」へ
文化資料館として、犬山を紹介する施設だ
隣のカラクリ・ミュージアムでカラクリの解説と実演を観ることが出来た
お茶くみ人形の解説と実演も
住宅地の中に、針綱神社元宮跡の碑が建つ
城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている
桜城址から高台にある挙母城(七州城)へ向かう
美術館の裏手の広場に残る曲輪の一画 土塁跡に立つメンバーたち
城下の南の方に、大手門跡の立て札が建つ
かつては、二層の楼閣造りの門があったそうだ「三州挙母に過ぎたるものは、大手御門に海老名三平」と云われたほど豪華だった
藩校跡の石碑が建つ
崇化館という藩校で、挙母藩の士分養成機関であった
竹藪の中に、金谷城の曲輪跡があるが立ち入ることはできなかった
勝手神社へ到着する
ここに、金谷城址の石碑が建つ
城址公園に建つ隅櫓跡。この櫓の石積みは、布積みと云うそうで、石の目地が通っている
そして、浄土真宗の寺、聖運寺へ立ち寄る
立派な楼門が建つ
龍の彫り物も見事だった
河川敷に菅生川端石垣という400mもある長大な石垣の一部があり、
さらにしばらく進むと、横矢桝形の跡があった
お城の一角が見えてきた
菅生曲輪跡の広場の向こうに、東隅櫓がきれいに輝いている
河川敷に菅生川端石垣という400mもある長大な石垣の一部があり、
さらにしばらく進むと、横矢桝形の跡があった